安土山御天主のブログ

ユメをみたあの山の上の黒い建造物は何?

蘭奢待

乱蛇体?
ネットから切り取った。
聖武天皇によって蘭奢待命名された
と伝わるらしい。

東大寺正倉院に収蔵されている香木。
天下第一の名香らしい。
文字の中に東大寺を隠してある、
らしい。
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天正二年(1574年)、織田信長蘭奢待中央側を削り取る。


天正元年
佐久間信盛の軍に多聞山城を囲まれたが和議を申し込み、12月に降伏した。
重ねての反逆に対して多聞山城を明け渡す条件で許されたが、
信長はすでに11月29日の初戦の段階で攻撃軍司令官の佐久間信盛
「多聞山城を没収して赦免するよう」指示
らしい。


天正2年(1574年)3月27日、信長が多聞山城に入城し検分してから、
翌日には正倉院に伝わる名香「蘭奢待」を長持ごと多聞山城に運ばせ、
同城の舞台で蘭奢待を一尺八寸切り取り配下に観賞させた(『信長公記』)


蘭奢待  蘭奢待切捕らせらるるの事
切り捕りってネットでコピペ?

信長公は香木切り取りのため27日、原田直政・菅谷長頼・佐久間信盛
柴田勝家丹羽長秀・蜂屋頼隆・
荒木村重・武井夕庵・松井友閑・津田坊らの奉行衆を従えて
奈良多聞山城へ入った。
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28日辰の刻、倉が開かれた。
かの名香は長さ六尺の長持に納められていた。
香はすぐに多聞山城へ運ばれ、城中御成の間に据えられた。
そして諸将が注視する中、信長公は古法に従い蘭奢待の香木から
一寸八分四方を切り取った。

あれっ、上の画像では東大寺の中央を十寸四方で切り取ってますけど


信長公は
「末代までの物語にせよ」と、
切り取った香木を御供の馬廻に披露した。


現世の思出としてこれに過ぎたるものはなく、
またこれほど威光に満ちた出来事はなかった。


そもそも蘭奢待の名香は寛正の昔に東山殿が切り取りを許されて以来、
将軍家の内で所望する御方が跡を絶たなかったものの、
今に至るまで結局誰一人として許されることのなかった秘宝であった。
その秘宝が、このたび仏天の加護あって信長公へ下されたのである。
三国に隠れなき名物を手にしたその栄誉は、
何事にも換えがたいものであった。
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馬廻衆って天正十年、本能寺変直後、
多聞城の建物が移築された二条城でほとんど討死してません?